基本的な考え方





統計力学の本でそう考えるのがさも当然であるかのように記述されている箇所の裏側には、面倒な数学がいる可能性が高いです。なので、よっぽど本気で勉強しようと思わない限り素直に受け入れた方が安全です。

統計力学における考え方は微視的(ミクロ)な量から巨視的(マクロ)な量で成り立っている物理を導くというものです。もっと直接的に言えば、古典力学や量子力学から熱力学を求めるものが統計力学です。なので最終的に対象とするものは巨視的(熱力学的)な振る舞いについてです。別の言い方をすればミクロとマクロの間を結ぶ中間部分を考える分野と言うことができます。

統計力学をやるときは微視的と巨視的の区別ははっきりさせておいたほうがいいです。大まかには、微視的と言った時は個々の粒子を見ていて、巨視的な量と言った時は個々の粒子を見ていない場合です。なので、個々の粒子を見ずに作られている熱力学は巨視的となります。

もし、微視的な粒子における運動方程式を導いたとしても、巨視的な量を再現するためにはその粒子をアボガドロ数程度は集めて連立方程式を解かなければならなくなります。こんなことは不可能というより馬鹿らしい考えです。その上実験的にもそんな細かい部分を測定することは無理ですし(アボガドロ数ある粒子の運動を同時に測定するのは無理)、たとえそんな解を見つけることが出来たとしてもその解から巨視的な性質を抽出できるかという問題もあります。なので、こんな細かいことばかりみていないで大雑把に考えようというのが基本的な方向性となっています。言い換えれば、必要な情報を落とさないようにどれだけ粗く扱えるか考えるということです(円を四角で分割するとき、四角の大きさをどうすれば近似として十分かというのと同じようなものです)。大雑把にするといっても物理の本質を外すようなことをしては何もならないので、そこらへんはちゃんと考察されて統計力学は作られています。

例を挙げると、箱を2つにし切って小さな穴をあけたものを用意します。そうすると粒子は複雑な運動をしますが、右と左どちらの空間にいるかは確率1/2であって、これは全ての粒子にいえることです。なので、時間が経てば二つの空間に半々の個数の粒子がいることになると考えることができます。これはかなり大雑把化させた話ですが方向性としてはこんなものです。つまり、どういった状態がどのような確率に従っているのかを考えて全体的な運動を記述するということです。

つまり、多数の粒子によって構成される系を確率を使って近似しようというのが統計力学です。言い換えれば、系の時間平均を確率を使った平均に置き換えるというものです。
多数の粒子によって構成されるある系があり、その系を観測すると求まる物理量(エネルギーとか圧力とか)があったとします。このとき、この系の詳細は分からないが、系としては、その系がなれるある状態A,B,C,…のうちのどれかだと考えられます(各状態は構成する多数の粒子がどうなっているかによるので微視的な状態と呼ばれます)。この状態A,B,C,…が実現する確率が分かれば、その各状態での物理量pを平均することが出来ます(微視的な状態での量なのでpも微視的な量)。そして、その平均値が熱力学での結果(巨視的な量)に対応すべきとします。

統計力学での原理として、等確率の原理というのがあります。これは孤立した系は長時間放置しておけば、その系がなれる状態が実現する確率は全て等しくなるというもので、統計力学はこれを基にして組み立てられています。

そして、こういった孤立系での確率分布による集団のことをミクロカノニカルアンサンブルといい、外部の系と接触している系を考えるものをカノニカルアンサンブルといいます。そして、カノニカルアンサンブルに粒子数も変化する(ゆらいでいる)としたものをグランドカノニカルアンサンブルと言います。

小さな対象を考えていくので量子力学の知識が必要になってきますし、古典論で扱った場合と量子論で扱った場合で結果が異なり、量子論的に扱うことで熱力学の要請をきれいに満たしたものを得ることが出来ます。そして、統計力学の方法自体は古典的だろうと量子的だろうとどちらにも対応させることができます。




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