空孔理論
空孔理論(Hole Theory)というのは、ディラック方程式と、そこから導かれた4つの解のうちに2つの負エネルギー解が存在することによる矛盾を解決させるための仮定とを組み合わせた理論です。
現実世界においては負エネルギーというものは存在していないために、その解を扱うことは不可能なはずです。しかし、この解を無視してしまうと数学的に問題のないものとして扱えなくなってしまったりし、理論がおかしくなってしまうので、簡単に無視することができません。
しかし負エネルギーを認めてしまうと、物質はより安定を求めてより可能な低いエネルギーに落ちていくという性質から、無限の負エネルギー状態まで落ちていってしまいこの世界が存在しなくなってしまいます。ちなみに負エネルギー解が存在する理由は、理論が相対論的に不変なため相対論におけるエネルギーの関係 E=±c√(p2+m2c2) をおもいっきり受けているためです。
このような状況を防ぐためにディラックは新しい理論を提唱しました。
まず真空とは何もない状態のことではなく、負エネルギー状態が満たされたものだと定義(仮定)しました(ディラックの海)。これによって電子のようなパウリの排他律に従う粒子は負エネルギーに落ちていけないようになります(同じ状態に複数の電子は入れない)。
さらにこの真空にエネルギーを与えて負エネルギーの電子を励起させると、正エネルギー状態となり、その負エネルギー電子があったところには孔(hole)ができるとします。この孔は観測することができます(正確にはこの観測は真空からのズレとして観測されると仮定している)。それは、電荷がマイナス、運動量がマイナス、スピンがマイナスの負エネルギーをもった電子を励起させたとき、真空にできる孔は、電荷がプラス、運動量がプラス、スピンがプラスの正エネルギーをもった電子として観測されることになります(負エネルギー電子が1個なくなったため、その真空からのズレとして)。簡単に言えば、その負エネルギー電子の、エネルギー、運動量、スピン、電荷の符号すべてがひっくり返ったものとなります。
ちなみに、状況は違いますが孔の概念は物性でも出てきます(こちらは正孔と呼ばれる)。
このように孔は電子と同質量で逆の電荷をもつものとして振舞うとされ、これがディラックが予言した反粒子です。実際に電子の反粒子の存在は1932年にAndersonによって実験で観測され陽電子(positron)と名づけられています。この粒子と反粒子の関係は、荷電共役(C変換)というもので表してやることができ、反粒子もディラック方程式で表現できます。
この枠組みの中では、エネルギーを与えて粒子と反粒子が対で発生する対生成(pair creation)と呼ばれるものを起こせます。これに必要なエネルギーは E=E++E−>mc2 となります。また、正エネルギー状態から孔に落ちていく、つまり粒子と反粒子が出会ってエネルギーを放出して消滅することを、対消滅(pair annihilation)と呼びます。
これが空孔理論の概要ですが、これによって全ての問題が解決したわけではなく、真空の定義のために問題が1体問題から多体問題となってしまうという面倒なことが起きてしまいます。また、存在するはずのないものが存在しているとしているために不自然なものになっていますし、もっといえばディラックの海という概念自体が受け入れづらいものになっているといえます。
こういった問題を解決するために場の量子論が必要になり、ディラック場を量子化することで自然な理論を作り出すことができます。
また、ファインマン(Feynman)等の理論によれば反粒子を時間が逆行している粒子だとすることで、場の量子論を導入しなくてもディラックの海を仮定することなく話を進めていけるのでかなり扱いやすいものになります(QED参照)。
戻る